「神さまが共におられる」  05.12.18
                   マタイ1:18〜25

 クリスマスツリーの起源に、いくつかの言い伝えがあります。
 8世紀のドイツでの出来事も、そのひとつです。村人が森の
大きな木の前に集まって、森に火事を起こす雷の神をなだめるため、
子どもを生贄にしようとしていた。そこを通りかかった宣教師が、
神さまは子どもを求める方ではなく、御子を与えてくださった方で
あると告げ、村人はクリスマスの出来事を知ったというのです。
 神さまは恐れる相手ではなく、大切な御子を与えてくださるほど、
自分たちを愛してくださっている相手だと知った。そこから、大きな
ツリーは、恐れではなく、御子を与えてくださった感謝になった…。
 クリスマスにふさわしい言い伝えです。

 さて、クリスマスにお生まれになるイエスさまは、「インマヌエル。
神は共におられる」と呼ばれる方(23節)だといわれます。どんな
時も神さまが一緒にいて、私たちを守り、導いてくださることを、
イエスさまが
実現していかれるからです。
 もともと、「インマヌエル」との言葉は、預言者イザヤが語った預言
でした(イザヤ7章)。イザヤは、神さまに信頼しないで生きようとする
王さまに対して、この言葉を語ったのです。これは王さまにとって
うれしいことではありません。神さまが一緒にいることは、自分の
不信仰や罪を見られて、裁かれることを意味するからです。
 罪を抱える者にとって、神さまが一緒にいらっしゃることは、
本来は恐ろしいことです。
 しかし、聖書は、イエスさまのことを「罪から救う方である」(23節)と
はっきり告げます。

 イエスさまは、後に十字架にかかり人の罪を取り除いてくださる
方であり、そのためにこそ、お生まれになる救い主だからです。

 罪からの救いを与えてくださる方がおられるゆえに、インマヌエルは、
もう裁きとは無縁になりました。 恐ろしいことではないのです。
 いつも一緒にいてくださる神に、安心して、寄り添うように
すがれるのです。

 この方ゆえに、自分の失敗を隠さずに、神さまの前で悔い改めて、
罪を赦されたものとして出発できます。